かたん。という音につられて控えの間から出てくれば、
主が寝間着のまま縁側で月を眺めていた。

刻は丑三つ。
子供が起きているには、遅すぎる時間。
それに加えて、今夜はよく冷える。
吐く息が白くなるほどではないにしろ、
あのような薄着で廊下に座り込んでいてはすぐに体は冷え切ってしまうだろう。
呆れた佐助は声をかけた。


「まだ起きてたんですか?」


上着も着ないで風邪ひきますよ、とため息をつき
自身が来ていた薄い羽織を弁丸の肩にかければ、
弁丸は佐助のほうに居直り


「すまぬ」


と素直に謝った。
謝るくらいなら上着くらい着なさいよと釘を刺し、
こんな時間に何をしているのかと問えば、彼の小さな主は


「夢を見たのだ」


と答えた。








それは、先日のこと。
久しぶりに会った実の兄から聞いた民話のようなはなし。


月には兎がいて、そこで餅をついているというものがたり。


その話は、佐助も知っていた。
だがその話の由来が、月に見える黒い模様が兎に見えるからだということも
本当に月に兎がいるわけではないことも知っていた。


しかし、弁丸はその話を信じたようで
月の兎について、兄弟で話し合う微笑ましい姿を見かけたことを佐助はよく覚えていた。





その兎が夢に出てきて、一緒に餅をついたのだというのだ。





「・・・だが、もちを食べる前に目が覚めてしまった。」
「そりゃ残念。」


ひどく悔しそうに
本当にうまそうなもちだったのだ。と話す主に、佐助は笑って答えた。
なぜ笑う?と怒られたが、笑うなと言うほうが無理な話。
なんとも子供の見そうなかわいらしい夢。
自分が見ることは、もはやないだろう夢だ。




「それで、悔しくて月を見てたんですか?」
「・・・うむ。」




弁丸はまた月を見て、至極真面目につぶやいた。




「どうすれば月に行けるのだろうな。」




佐助の凧ならゆけるだろうか…と真剣に悩む姿を
流石に笑いとばすことはできなかった。
主なりに真剣なのだろう・・・多分。


しかし、だからと言って「月まで行ってくれ」と言われては敵わないと思った佐助は、
子供の夢を壊さない程度に先手を打つことにしたのだった。




「凧で行くのは難しいんじゃないですかねぇ。半分くらいは風任せだし。」


「なら、からすならどうだ?あれは高く飛べるだろう?」


「からすでもです。だって、ちょっとやそっと飛び上がった位ではあの月の大きさは全然変わらないんですよ?
 ってことはあの月はすごく遠くにあるってこと。それに、凧やからすで飛んだくらいで行けるなら忍はみんな月に行ってます。」


だから月には行けないんですよ?と問えば、弁丸は少し難しい顔をしたが、わかった。と、うなずいた。


彼の主は、稀に突拍子もないことを言い出したり、手習を抜け出したりはしたが、
我儘を言ったりすることの殆どない、周りの大人の言いつけをよく聞くとても物分かりの良い子供であった。
それは、佐助から見ても若干子供らしくなく見えるほどに甘えるのが下手だったからだ。
きっと、彼が来るまで、存分に甘えられる人間が弁丸の周りにいなかったためだろう。
現に、佐助に対しても未だ遠慮をする場面は多々ある。



別にそんなことは、本来忍である自分が主に対して気にするようなことではないし、
自分は与えられた命さえ確実にこなしていればいいだけの存在である
それこそ、主と忍がこんな気軽さで付き合っていることの方が可笑しなことなのだ。


しかし、それでもそんな心配をしたくなるほどに彼は主を気に入ってしまっていたし。
主も彼を大切に思っていた。









すると、難しい顔をしていた主が、ぽつりと佐助に言った。





「なら、さすけはもちはつけるか?」



「餅?」





今度は佐助が難しい顔をする番だったが、
直ぐに主が甘いもの、特に餅や団子といった類に目がなかったことを思い出した。





「…もしかして、食べたいんですか?」





そう問うてみれば、主は驚いた顔をして一度佐助を見たあと
気まずそうに恥ずかしそうに、小さく










 こくり











と頷いた。




まったくいじらしいではないか。



よほど、夢に出てきた餅が諦められなかったのだろう。
滅多に我儘を言わぬ主が珍しく、佐助に所望した。
甘え下手の主が、忍の自分に。
そうとなれば、それが餅であろうとなんであろうと、答えてやるのは悪くはない。




むしろ、答えてみたい。




佐助も珍しく、そんな思いに駆られてしまった。







「…もちはちょっとつけないけど、団子ぐらいなら作れますよ?」



餅をつくには、道具も人出も足りないが、
団子くらいなら、郷にいた頃に作ったことがあるし、もともと料理は苦手ではない。
材料も、屋敷にあるもので何とかなるだろう。



それでも良ければ、明日にでも作りましょうか?と言ってやれば、
一瞬のうちに弁丸の顔がぱっと明るくなった。



「それはまことでござるか!」



それは、佐助が想像した以上の反応で、自然に佐助の顔も綻んだ。
団子くらいでこんなにいい表情をしてくれるなんて、なんとも仕えがいのある主だ。
この主に絆されているという自覚はあった。
しかし、それでもいいかと思えるほど、今の佐助は暖かな想いで満ちていた。



「明日が楽しみだ」



今にも飛び上りそうなほど、嬉々として主が佐助に笑いかける。



「だったらもう寝なさいよ。」



佐助は主の頭を撫でて笑い返した。
明日は忙しくなるだろう。
















翌日、佐助の作った団子は少し不格好だった。

味も、店のものほど美味いものではなかった。

それでも弁丸は「こんな美味い団子は食べたことがない」と言って喜んで食べ、

佐助が「夕餉が入らなくなる」と散々注意しても聞かず、結局全てぺろりと平らげてしまった。

そしてまた、あの笑顔で「ありがとう」と言ったのだった。

小言の一つ二つも言いたかったが、その顔だけで佐助は、まあいいかと思ってしまい、

また、絆されてるなあと思った。























それからというもの、主は度々忍に団子を所望するようになり、

忍の仕事と苦労が増えたとか、増えなかったとか。













つきだけがみていたはなし
(縁側で)
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はじまりのはなし。
かもしれない。